Arasenblog Witten by Ryuichi Arai

「友達と無理に関わらなくていい」という考え方が大切

いじめ

 「みんな仲良く」という呪縛から解放する大切さについて話したいと思います。

 「人は一人では生きていけない」

 これまで生きてきたなかで、一度は耳にした言葉ではないでしょうか。

 映画やドラマ、漫画でもよく使われるセリフですよね。日本人はこの言葉を大切にしています。

 なぜだかわかりますか? その理由は、日本がかつて「ムラ社会」だったことが関係していると言われています。

 ムラ社会とは、集落ごとに形成される地域社会のことです。集落の有力者を中心に厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会でした。

 ムラ社会では、食べ物や着る服など、生活に必要なものを調達するために村人の手を借りる必要がありました。仕事をする場合もそうです。

 つまり、かつての日本は「一人では生きていけない」社会だったのです。

 日本人が今でも「人は一人では生きていけない」と言うのは、そのような背景があると考えられています。

 しかし、今はどうでしょう。

 環境は劇的に変わっています。生活必需品はコンビニや24時間営業のお店などで購入できます。ネットショッピングと宅配を使えば、家から一歩も出ないで手に入るのです。仕事についても同様です。スマホやパソコンだけですべて済んでしまう、なんて仕事もあります。

 今は「誰とも付き合わないで、一人で生きていく」という選択することが可能になったのです。

 とはいっても、私は「一人で生きていくこと」をすすめているわけではありません。「人のことなんて考えないで、自分勝手に生きていけばよい」と主張したいわけでもありません。

 一人で生きていくことができる社会だからこそ、人とのつながり方を見直しましょう、と言いたいのです。

 私は、もし気に入らない相手がいたら、お互いが傷つけあわない形で、ともに時間と空間を共有できる作法を身につけることが大切だと考えています。常に濃密な関係を求めずに、あえて距離をおいた方が良い場合もある。関係しよう、関係しようとするのではなく、距離間を保ったほうが良いという考えです。

 「友だち幻想」の著者、菅野仁氏は、人とのつながり方を次のように述べています。

「そもそも、クラス全員が仲良くできる、全員が気の合う仲間どうしであるということは、現実的に不可能に近いことです。人間ですから、どうしてもお互い馬が合わない人、理屈ぬきで気に障る人というのはいます。(中略)そんなとき、ムカツクからといって攻撃すれば、ますますストレス過剰な環境を作り、自分のリスクも大きくすることになるのです。(中略)「並存性」という考え方が大事なのです。ちょっとムカツクと思ったら、お互いの存在をなるべく見ないようにするとか、同じ空間にいてもなるべくお互いの距離を置くということしかないと思います」

 菅野さんがいう通り、学校で全員と仲良くなることを目指すのではなく、気が合わない子とは、ちょっと距離を置く「並存性」という考えでふるまうことが大切ではないか、と思っています。

 私は数々のいじめ事案に関わってきました。その際、教師はいじめられた子に対して、「いじめてくるグループから離れろ」「別のグループの子どもとつき合え」とすすめます。ところが、なかなか関係を切ろうとしないケースが多いのです。いじめられた子は「自分の居場所がなくなってしまう」と必死でしがみついているようでした。  友達と離れよ。無理してつき合ってどうする。距離をおけ、と声を大にして言いたいのです。

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