校長の取組

【全校集会】福沢諭吉から学ぶ「本当に偉い人とは」

あらせん(荒井隆一)あらせん
この記事の目次
  1. ① 問いかけ:偉い人ってどんな人?
  2. ② 人物の物語:勉強ぎらいの少年が、学ぶ人になるまで
  3. ③ 言葉:学ぶ力は、争いよりも強い
  4. ④ 3つの行動(案)
  5. 校長として思うこと

2026年10月の全校集会で、「本当に偉い人とはどんな人か」について話しました。題材は、長く一万円札の顔だった福沢諭吉です。

① 問いかけ:偉い人ってどんな人?

「偉い人」と聞くと、テレビに出ている人や、お金持ちの人を思いうかべるかもしれません。校長先生は、福沢諭吉さんの考えを紹介して、こう伝えました。偉い人とは、勉強する人です。

② 人物の物語:勉強ぎらいの少年が、学ぶ人になるまで

福沢さんは、昔の日本で「生まれた家によって身分が決まる」といわれていた時代に、「どんな人でも学べば立派になれる」と人々を励ました人です。有名な本『学問のすすめ』の最初には、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉があります。

そんな福沢さんですが、子どものころは勉強が好きではありませんでした。3歳ごろにお父さんを病気で亡くし、お母さんと中津(今の大分県)へ引っ越しました。本人が書いた『福翁自伝』によると、本格的に学び始めたのは14、5歳のころで、「始めて学ぶのだから甚だきまりが悪い」と感じたそうです。まわりは年下の子ばかり。けれども負けずぎらいの福沢さんは、懸命に勉強しました。

やってみると勉強はおもしろくなり、むずかしい歴史と文学の本『春秋左氏伝』(全部で15巻)を、およそ11回も読み返して、おもしろいところは暗記していたと自分で書いています。ふつうは3、4巻で投げ出す人が多かった本です。

大人になった福沢さんは、オランダ語を一生けんめい勉強しました。ところが1859年、26歳のとき、外国の人が集まる横浜を見物して、これまで学んだオランダ語が役に立たないことを知ります。町で使われていたのは英語でした。大きなショックを受けましたが、福沢さんは思いきって英語に切りかえ、辞書を頼りに独学を始めました。

1868年、江戸の上野で戦いが起きた日。砲声が聞こえる中でも、福沢さんは自分がつくった学校(のちの慶應義塾)で、いつもどおり経済学の講義を続けました(慶應義塾の年譜に記録があります)。

③ 言葉:学ぶ力は、争いよりも強い

慶應義塾のマークは、「ペンは剣よりも強し」という言葉に通じるといわれています。この言葉自体は福沢さんの創作ではなく、イギリスの作家ブルワー=リットンの戯曲『リシュリュー』が出典とされています。それでも、新しい時代をつくる力は戦いではなく学びだ、という福沢さんの信念とよく重なります。

校長先生は最後に、こう伝えました。「勉強する人が偉い人です。努力し続ける人が最後に勝つ人です。みなさんがどんどん学んで世界のリーダーになってくれたら、戦争はなくなるだろうと、先生は心から思っています。すてきな人がリーダーになるべきです。」

④ 3つの行動(案)

  1. 苦手だと思っている勉強を一つ決めて、じっくり挑戦してみる。
  2. がんばったことが思いどおりにいかなかったときは、くよくよせず「次はこれを学ぼう」と切りかえる。
  3. 学んだことを、友だちや家の人に話して、だれかの役に立てる。

校長として思うこと

学校の先生たちは、みなさんの学びを全力で応援します。福沢さんのように、学ぶことのおもしろさに気づいてほしいと願っています。

あらせん(荒井隆一)
この記事を書いた人 あらせん(荒井隆一)

小学校校長。書家。ことわざの達人。SUNPEACE 理事長、情熱教師塾 塾長。第63回読売教育賞 最優秀賞。著書『いじめ2.0〜新しいいじめとの戦い方〜』。

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