校長の取組

【全校集会】樋口一葉から学ぶ「自分のいいところ」

あらせん(荒井隆一)あらせん
この記事の目次
  1. ① 問いかけ:「これをがんばろう」と決めたものはある?
  2. ② 人物の物語:学びたかった少女が、小説家になるまで
  3. ③ ことば:いいところは、できることだけではない
  4. ④ 3つの行動(案)
  5. 校長として思うこと

2026年6月の全校集会で、「自分のいいところを見つける」ことについて話しました。題材は、五千円札の顔だった樋口一葉です。

① 問いかけ:「これをがんばろう」と決めたものはある?

この学校は、一人ひとりのいいところに気づき、どんどん伸ばしていけるように応援する学校をめざしています。みんなには、これをがんばろうと決めているものはありますか。まだない人もいいです。一つ決めて挑戦すると、自分にしかないいいところが必ず見えてきます。

② 人物の物語:学びたかった少女が、小説家になるまで

樋口一葉は1872年(明治5年)、東京で生まれました。本名は「なつ」。「一葉」はペンネーム(筆名)です。勉強が大好きで、11歳で小学校の高等科を首席で卒業しました。でも、母親は「女に学問はいらない」という考えで、なつはそれ以上学校へ通うことができませんでした。このことは本人の日記にも書かれています。当時は、早く結婚して家庭をつくることがよいとされた時代でした。

学びたい気持ちを見たお父さんは、14歳のとき、和歌を教える歌塾「萩の舎(はぎのや)」に通わせてくれました。和歌とは、五・七・五・七・七のリズムで、自然や気持ちを表現する伝統的な詩です。萩の舎には、身分の高い家のお嬢さんがたくさん通っていました。そんな中でも、一葉は和歌で頭角をあらわします。

17歳の夏、お父さんが事業の失敗で借金を残して亡くなり、一家の暮らしは苦しくなりました。ここから一葉は、洗濯や針仕事の内職をしながら、小説家をめざします。20歳のころから「一葉」を名乗り、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などを発表し、日本で最初の女性の職業作家といわれます。結核のため、24歳で亡くなりました。今は別の人物になった五千円札ですが、2004年から2024年まで、一葉の顔が印刷されていました。

新しい時代の先頭に立つことは、苦労がつきものです。でも一葉は負けず、大変な生活の中で見たり聞いたりした苦しいことや悲しいことを、作品として生み出していきました。

③ ことば:いいところは、できることだけではない

校長先生は、こんなふうに伝えました。人と比べてうらやましく思う必要はありません。お金持ちでも貧しくても、人間であることに変わりはなく、それぞれにいいところがあります。なかなかうまくいかないときや、自分のいいところがわからないときは、悩んでもいいです。そしてまた胸を張って挑戦することで、自分の心が磨かれ、あなたのいいところが見えてきます。

いいところとは、何かができることだけではありません。失敗をおそれない勇気をもっていることも、家族や友だちを思いやる心も、あなたのいいところです。自分にしかない「心のダイヤモンド」を見つけて、大事にしてほしいと話しました。

④ 3つの行動(案)

  1. 「これをがんばろう」と決めることを一つつくる。
  2. 自分のいいところを一つ、紙に書いてみる。
  3. 友だちのいいところを一つ見つけて、本人に伝える。

校長として思うこと

一葉のように、自分のいいところに気づいた人は、苦しいときも前を向けます。この学校は、一人ひとりの「心のダイヤモンド」を見つけて、一緒に磨いていく学校です。

あらせん(荒井隆一)
この記事を書いた人 あらせん(荒井隆一)

小学校校長。書家。ことわざの達人。SUNPEACE 理事長、情熱教師塾 塾長。第63回読売教育賞 最優秀賞。著書『いじめ2.0〜新しいいじめとの戦い方〜』。

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