平和活動 SUNPEACE

空襲を記録した役場職員・中嶋義秋さんの手記「空襲罹災記」を読む

あらせん(荒井隆一)あらせん (更新 2026年10月30日)

中嶋義秋さんは、空襲の当日、三輪町役場に勤めていた職員です。空襲から28年がたったときに、「忘れることのできない空襲の日」を「書き残して置きたい」と、手書きの記録を残しました。表紙には「昭和二十年七月十九日 三田 三輪 空襲 罹災記」とあります。全体で約7ページです。

手記からわかること

  • 午前11時20分ごろ、飛行機の爆音とともに役場前の電柱の碍子が割れ落ち、職員が避難しました
  • 役場では午前中に警戒警報が出ていたものの、いったん解除され、安心して会議を続けていたところでした
  • 中嶋さんは「高次」地区で起きた火災を見て町長に報告し、自転車で急報に走り回りました
  • 高次の農家が4戸全焼するなか、路上で二人の男の子が亡くなっているのを見つけ、保護者へ知らせました
  • 犠牲になった方々への思いと、空襲のことを書き残しておきたいという思いが記されています

手記の原本はPDFでは公開せず、この記事で要点と引用を紹介します。劇「三田空襲を忘れない」の「中嶋」は、この義秋さんをモデルにしています。

※手記は、機種を「グラマン」、時刻を午前11時20分と記しています。これは当時の人が見聞きした記録です。その後の米軍記録の調査では、機種は P-51 とする説が有力で、時間帯も午前9時〜10時ごろとされています。くわしくは杉山雅崇さんの分析と「三田空襲とは」をご覧ください。

あらせん(荒井隆一)
この記事を書いた人 あらせん(荒井隆一)

小学校校長。書家。ことわざの達人。SUNPEACE 理事長、情熱教師塾 塾長。第63回読売教育賞 最優秀賞。著書『いじめ2.0〜新しいいじめとの戦い方〜』。

プロフィールを読む →

コメントを書く

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA