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三田空襲とは?1945年7月19日、下校中の子どもたちを襲った機銃掃射

あらせん(荒井隆一)あらせん (更新 2026年10月30日)
この記事の目次
  1. 記録によって違う「時間」と「機数」
  2. 神戸新聞明石総局・杉山雅崇さんの調査でわかったこと
  3. 次に読む
  4. もっと知る・学ぶ

1945(昭和20)年7月19日の午前、米軍戦闘機が旧有馬郡三輪町(現在の三田市三輪)などを機銃掃射しました。三輪小学校や、下校中だった児童らが無差別に射撃され、児童4人と女性1人が亡くなり、数戸に火災が発生しました。現在の三田市域で、空襲による死者が出たのはこの1回だけとされています。

記録によって違う「時間」と「機数」

地元の記録には食い違いがあり、現在も実態ははっきりしていません。

記録時間帯機種機数
中嶋義秋「空襲罹災記」(1973年)午前11時20分艦載機グラマン2機
三輪区史(1998年)午前9時30分〜45分艦載機(区史著者はTF38と推定)1波4機、2波8機
三輪小学校創立百周年記念誌(1973年)午前9時30分以降艦載機グラマン1波4機、2波8機
三田市史(2012年)記載なし米軍機2機

神戸新聞明石総局・杉山雅崇さんの調査でわかったこと

神戸新聞明石総局の杉山雅崇さんは、米軍の記録を調べ、次のように結論づけています(2026年4月19日付の分析)。

  1. 空襲の記録を調べると、この日に米海軍の艦載機の大規模な出撃はありませんでした。英軍機動部隊もこの日は作戦行動をしていません。
  2. 硫黄島から飛来した米陸軍航空軍のP-51戦闘機(第506戦闘機連隊)の任務報告書を、米国の空軍歴史調査室から取り寄せました。この日は伊丹・西宮を目標に出撃し、周辺で機銃掃射をしています。
  3. 空襲翌日の朝日新聞・神戸新聞にも、「硫黄島から飛来したと思われるP51が近畿に襲来」とあり、米軍記録とほぼ一致しました。

結論として、三田を襲ったのは第506戦闘機連隊の3飛行隊のうちのいずれかのP-51でほぼ間違いないとし、とくに第458戦闘飛行隊の可能性が濃厚としています。時間帯は午前9時〜10時ごろと見ています。この分析は神戸新聞でも発表されています。地元で語り継がれてきた「グラマン」という呼び名は、調査の結果、P-51という見方に改められました。

「空襲をしたのは誰だったのか」を今も調べ続ける人がいることも、この空襲がいまだに「忘れられていない」証です。

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あらせん(荒井隆一)
この記事を書いた人 あらせん(荒井隆一)

小学校校長。書家。ことわざの達人。SUNPEACE 理事長、情熱教師塾 塾長。第63回読売教育賞 最優秀賞。著書『いじめ2.0〜新しいいじめとの戦い方〜』。

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