1945(昭和20)年7月19日の午前、米軍戦闘機が旧有馬郡三輪町(現在の三田市三輪)などを機銃掃射しました。三輪小学校や、下校中だった児童らが無差別に射撃され、児童4人と女性1人が亡くなり、数戸に火災が発生しました。現在の三田市域で、空襲による死者が出たのはこの1回だけとされています。
記録によって違う「時間」と「機数」
地元の記録には食い違いがあり、現在も実態ははっきりしていません。
| 記録 | 時間帯 | 機種 | 機数 |
|---|---|---|---|
| 中嶋義秋「空襲罹災記」(1973年) | 午前11時20分 | 艦載機グラマン | 2機 |
| 三輪区史(1998年) | 午前9時30分〜45分 | 艦載機(区史著者はTF38と推定) | 1波4機、2波8機 |
| 三輪小学校創立百周年記念誌(1973年) | 午前9時30分以降 | 艦載機グラマン | 1波4機、2波8機 |
| 三田市史(2012年) | 記載なし | 米軍機 | 2機 |
神戸新聞明石総局・杉山雅崇さんの調査でわかったこと
神戸新聞明石総局の杉山雅崇さんは、米軍の記録を調べ、次のように結論づけています(2026年4月19日付の分析)。
- 空襲の記録を調べると、この日に米海軍の艦載機の大規模な出撃はありませんでした。英軍機動部隊もこの日は作戦行動をしていません。
- 硫黄島から飛来した米陸軍航空軍のP-51戦闘機(第506戦闘機連隊)の任務報告書を、米国の空軍歴史調査室から取り寄せました。この日は伊丹・西宮を目標に出撃し、周辺で機銃掃射をしています。
- 空襲翌日の朝日新聞・神戸新聞にも、「硫黄島から飛来したと思われるP51が近畿に襲来」とあり、米軍記録とほぼ一致しました。
結論として、三田を襲ったのは第506戦闘機連隊の3飛行隊のうちのいずれかのP-51でほぼ間違いないとし、とくに第458戦闘飛行隊の可能性が濃厚としています。時間帯は午前9時〜10時ごろと見ています。この分析は神戸新聞でも発表されています。地元で語り継がれてきた「グラマン」という呼び名は、調査の結果、P-51という見方に改められました。
「空襲をしたのは誰だったのか」を今も調べ続ける人がいることも、この空襲がいまだに「忘れられていない」証です。
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