SUNPEACEは、三田空襲の体験者に話をうかがい、その様子を動画に残してきました。この記事では、2023年7月17日に収録した「三田空襲を語る『あの日、あの場所で』」(約52分)を紹介します。当時、三田国民学校の3・4年生だった4人の方と、それぞれが空襲にあった場所を実際に歩き、そのあと座談会でお話をうかがいました。それまでは一人ずつお話を聞いてきましたが、複数の体験者に集まっていただいたのは、この回が初めてです。
この動画でわかること
- 空襲警報で集団下校していた三田国民学校の子どもたちが、それぞれの場所で米軍機に遭遇したこと
- 土手のくぼみ、水路、ぶどう畑の前の溝など、子どもたちが身を隠した場所と、その場所の今
- 「パイロットの顔が見えた」「戦闘帽にサングラス姿が見えた」ほどの低空飛行だったこと
- 「大きくなったら兵隊さんになる」と信じていた教育や、父を戦争で亡くした体験
- 「人の命ほど大事なものはない」という、4人からのメッセージ
証言者の紹介
- 志儀喜代美さん(当時3年生):三田小学校の正門前で体験。くわしくは志儀さんの証言動画の記事でも紹介しています
- 中後茂さん(当時3年生):ぶどう畑の前で体験
- 内田昇さん(当時3年生):九鬼邸の前で体験
- 脇田孜さん(当時4年生):九鬼邸の前で体験
聞き手はSUNPEACEの大向勲さんです。
証言の要約
あの日、あの場所で(体験した場所を歩いて)
- 志儀さん:学校の門を出て橋のあたりまで来たとき、もう飛行機の音が聞こえました。子ども7、8人が入れるほどの土手のくぼみに、上級生に「早く入れ」と押し込まれました。入り口近くにいた志儀さんは、母が作ってくれたばかりのまだ染めていない白いカバンを持っていて、「その白いカバンを早く隠せ」と怒られ、飛行機を見るどころではなかったといいます(動画 3:17ごろ〜、7:26ごろ〜)
- 内田さん:九鬼邸の前あたりを歩いていたとき、後ろから爆音が聞こえ、振り返ると操縦士の顔がちらっと見えました。その前後のことは、ほとんど覚えていないそうです(8:40ごろ〜)
- 脇田さん:「バババババ」という音が聞こえ、怖くて九鬼邸の前の水路に飛び込みました。震えながら空を見ていると、飛行機は木すれすれの低さで飛んでいて、戦闘帽にサングラスをかけて機関銃を撃つ姿まで見えたといいます。飛行機が去ったあと、川の飛び石を渡って急いで家に帰りました(11:16ごろ〜)
- 中後さん:学校の裏門から出て、30人ほどの列で帰るところでした。米軍機が信号機より少し高いくらいのところまで下りてきて、ぶどう畑の前にあった幅2mほどの溝に、みんなで飛び込みました。上から「バリバリバリ」と撃つ大きな音がしたのを覚えています(13:42ごろ〜、15:31ごろ〜)
- 4人とも、空襲警報で地区ごとに集団下校している途中でした。同じころ、三輪国民学校でも子どもたちが下校中に撃たれています。大向さんは「本当に少しの違い」だったと語っています(16:39ごろ〜)
※動画の中で、空襲をした飛行機の機種は語られていません。その後の調査では、三田を襲ったのは硫黄島から飛来した米陸軍のP-51戦闘機とみられています。詳しくは「三田空襲とは?」をご覧ください。
座談会:7月19日までの戦争
- 脇田さんは、その年の神戸の大空襲の夜、子どもながらに橋の上まで行き、六甲山の向こうの空がピンク色になっているのを見たそうです。それまで三田の空では、B-29が高いところを悠々と飛んでいくのを見ていました。7月19日までは、三田がねらわれることはないだろう、という感じがあったといいます(25:24ごろ〜)
座談会:戦争の時代の子どもたち
- 内田さん:「とにかく、大きくなったら兵隊さんになる」と思っていました。ほかにどんな職業があるかを考えることも、ほとんどなかったそうです(34:20ごろ〜)
- 脇田さん:校長先生は朝礼台の上から、「日本は戦争に負けたことがない。必ず神風が吹く。日本は絶対に負けない」と話していました。学校には天皇の写真をまつる奉安殿があり、祝日には校庭で勅語が読み上げられました(35:27ごろ〜)
- 中後さん:中後さんが3歳くらいのとき、父が戦死しました。父の顔はまったく覚えておらず、あとで写真を見せられて初めて知ったといいます。男手のない農家となり、母や祖母と働くなかで、人生が大きく変わったと語っています(37:11ごろ〜)
- 志儀さん:父が戦地に行っている間、母に連れられて写真屋さんで写真を撮り、父に送っていました(39:30ごろ〜)
- 座談会では、SUNPEACEの活動を知ったある方が、亡くなったご主人が自分の畑で見つけて大切にしまっていた銃弾を、名前を告げずに届けてくださったことも紹介されました(42:03ごろ〜)
未来の子どもたちへ
- 内田さん:「戦争が終わったときは、これでもう戦争は起こらないと思っていました。今もこうして人の命が失われていくのは、本当に信じられません」(44:34ごろ〜)
- 脇田さん:「戦争はやっぱり絶対にだめです。あんな空襲はいらんです。かわいそうですよ、子どもで」(45:25ごろ〜)
- 中後さん:「戦争は人の命まで奪ってしまう。私も父の命を奪われました。そうなってはいけないと、切実に思います」(46:51ごろ〜)
- 志儀さん:「何が大事といっても、人の命ほど大事なものはありません。このかけがえのない命を大事にすることを、世界中の人たちが認識しないといけないと思います」(47:14ごろ〜)
