1945年7月19日の三田空襲(くわしくは「三田空襲とは?」)を体験した方々は、年を重ね、亡くなる方も増えてきました。戦争を知らない世代が、どうやって伝えていけばよいのでしょう。
この記事では、SUNPEACEの動画から、語り継ぐことに取り組んできた人たちの姿をつなぎます。2人で始まった活動に、演劇部の高校生、ミュージシャン、大学生、放送部の高校生が加わっていきました。
2人から始まった
SUNPEACEは、2018年春に、大向勲先生とわたし(荒井)の2人で結成しました。結成の日に決めたのは、三田空襲を伝えるイベントを開くこと、体験者のインタビュー動画を作ることの2つです。名前のサンは、三田の「さん」と太陽の「サン」、ピースは平和です。2019年7月19日に仲間で活動をふり返った動画があります。
大向先生は、この動画でいきさつを話しています。郷の音ホールを満員にしたい、という夢に心を動かされ、そこから1人増え、2人増えて、仲間が広がっていったそうです(動画 4:50ごろ〜)。
最初の動画は、2018年8月19日、体験者の中嶋宏次さんと下校の道を歩いた記録です。
動画の終わりでは、中嶋さんの体験を今の子どもたちだけでなく、200年、300年、500年先の人たちにも映像で伝えたい、と語られています(動画 8:17ごろ〜)。
キーワードは「追体験」
活動の中で見つかったキーワードが「追体験」です。2018年のPEACE RALLY エピソード2の動画に、そのことばが出てきます。
「追体験は何度でもできます」(動画 0:31ごろ〜)。体験はできなくても、聞く、歩く、演じる、歌うことで、近づいていくことはできる。これが、SUNPEACEの活動の柱になりました。
2つの演劇部が演じた「三田空襲を忘れない」
2018年12月30日のPEACE RALLY FINALでは、あらや新さんの作で、元宝塚北高校演劇部のメンバーらの学生劇団が劇を上演しました。352名が参加し、会場は満席になりました。
あらやさんは、資料をもとに台本を作っていましたが、中嶋さんと歩いた映像を見て、文字の情報だけでは完成しないと感じたそうです。8割できていた台本を捨てて、書き直しました(2019年のふり返りの動画 1:13:35ごろ〜)。
2025年12月27日の「ピースラリー2025」では、三田祥雲館高校演劇部が、同じ劇を演じました。
上演のあとのインタビューで、ある部員は、この劇をするまで三田に空襲があったことを知らなかったと話しました。全員が戦争を知らない部員たちです。「自分たちは想像するしかないけど」、全力で演じたといいます。防空頭巾をかぶって、「生半可な気持ちでできない」と感じた人もいました(動画 37:51ごろ〜)。
ちめいどさんと歌「PEACE」
SUNPEACEの活動には、いつも歌がありました。兄弟デュオのちめいどさんは、中嶋さんと一緒に下校の道を歩き、そのとき聞いたことばをもとに「あの空を忘れない」を作りました(2019年のふり返りの動画 37:26ごろ〜)。
みんなで歌うための「PEACE」は、作詞がSUNPEACE、作曲がちめいどさんです。何度も作り直しましたが、歌詞がどうしても重たくなってしまい、みんなで言葉を集めて、明るい未来を見すえた歌にしたそうです(2019年のふり返りの動画 32:48ごろ〜)。
ちめいど雄介さんは、ピースラリー2025のステージで、会場にこう話しました。「今度は今日参加された皆さんが語り部になるかと思います」(ピースラリー2025の動画 1:45:04ごろ〜)。歌を聞いて終わりではなく、聞いた人が身近な人に語ることを呼びかけています。
大学生が、小学生に伝える
関西学院大学の有志の学生たちは、SUNPEACEのイベントで三田空襲を学び、ドキュメンタリーを作りました。2025年7月19日の追体験ツアーも歩いています。そして今度は伝える側として、三輪小学校の6年生に授業をしました。穴のあいた半鐘の話もしています。ピースラリー2025で、学生たちは「語り継ぐ」ことを「未来を守ること」だと話しました(ピースラリー2025の動画 1:06:52ごろ〜、1:18:26ごろ〜)。聞いた人が、次の人に伝える人になる。追体験がつながっていく姿です。
「今しか聞けない」――北摂三田高校放送部
北摂三田高校放送部は、三田の戦争の傷あとをテーマにテレビドキュメント番組を作る中で、SUNPEACEと出会いました。高平地区に落ちた日本の戦闘機と、そこに残る慰霊碑も取材しています。今は、戦争体験者の声に焦点を当てた続編の取材を進めています。「今しか聞けない戦争体験者の方の生の声を未来に残す」ことが目的だと話しました(ピースラリー2025の動画 1:19:27ごろ〜、1:21:21ごろ〜)。
中嶋さんのいない道を、もう一度
2025年5月、中嶋宏次さんが亡くなりました。その年の7月19日、空襲からちょうど80年の日に、高校生・大学生らと一緒に、中嶋さんと歩いた道をもう一度歩きました。
「本当はここに中嶋さんがいたと思っています」と大向先生は話しました。7年前に一緒に歩いたから、資料を残し、語り継ぐことが少しでもできた。ここで感じたことを、何かの形でつないでもらうことが、中嶋さんの冥福を祈ることになるのではないか、と結びました(動画 32:02ごろ〜)。
「10年続けませんか」
2019年7月19日のふり返りの中で、「10年続けませんか」という声が上がりました。毎年7月19日にこの会を開き、若い世代につないでいこう、という提案です(2019年のふり返りの動画 43:38ごろ〜)。同じ動画の最後に、実行委員長のあらやさんは、「追体験は続くんです」と話しています。見た人が別の人に話すと、そこでまた追体験が生まれる、という話です(2019年のふり返りの動画 2:14:55ごろ〜)。
その後も、2025年の「三田空襲を聞く会」、2026年7月19日の「三田空襲の真実」と、活動は続いています。
授業で使える問い
- 体験者から直接話を聞けなくなったあと、私たちはどんな方法で伝えられるでしょう。劇、歌、動画、授業などの中で、自分ならどれを選びますか。
- 戦争を知らない人が戦争を伝えるとき、何に気をつければよいでしょう。高校生の「想像するしかないけど」ということばから考えてみましょう。
