平和活動 SUNPEACE

物が語る三田空襲――弾と薬莢、穴のあいた半鐘、手記、白いカバン

あらせん(荒井隆一)あらせん
この記事の目次
  1. 弾と薬莢――岸田さんが見せてくれた実物
  2. 穴のあいた半鐘――1.5センチが語る低さ
  3. 手記――28年後に書き残された記録
  4. 白いカバン――「今日だけこれで」
  5. 授業で使える問い
  6. 関連記事

1945年7月19日、三田で起きた機銃掃射(くわしくは「三田空襲とは?」)のあとに残された物が、いくつかあります。

この記事では、SUNPEACEの動画に出てくる4つの物を手がかりに、あの日をふり返ります。手のひらにのる弾、穴のあいた鐘、1冊の手記、そして母が作ってくれたカバンです。

弾と薬莢――岸田さんが見せてくれた実物

岸田達男さんは、2021年の動画で、機銃掃射の弾と薬莢の実物を見せてくれました。

この弾は、近所の女の子の太ももに当たったものです。出血がひどく、近くの医院では手当てができず、今の中央病院にあたる病院へ運ばれて、命は助かりました(動画 43:57ごろ〜)。

薬莢は、弾を飛ばすための火薬が入った筒です。撃つと火薬が爆発して弾が飛び出し、薬莢は下に落ちます(動画 45:07ごろ〜)。

2025年7月19日の追体験ツアーでは、案内役の大向勲さんが、弾と薬莢の話をしました。

空襲のあと、あたりには薬莢がたくさん落ちていて、体験者の中嶋宏次さんはそれを拾っていたそうです(動画 25:05ごろ〜)。大向さんは、地域の方から弾そのものも託されていました。「自分はもうこれ持っておくの嫌やと」。戦争の話はほとんどしたことがない方でしたが、SUNPEACEの活動を知って届けてくれたのです。ツアーでは、その弾を高校生・大学生らが順番に手に取りました。大向さんは、「この弾が体に入ったってこと」を想像してほしいと語りかけました(動画 25:37ごろ〜)。

弾には、その方が書いたメモがあり、「昭和20年7月19日午前9時45分頃」とあります。「グラマン」という飛行機の名前も書かれています(動画 26:37ごろ〜)。グラマンは当時の呼び方で、機種は、杉山雅崇さんの調査でP-51だとわかっています。

2018年のPEACE RALLY エピソード4でも、弾を届けてくださった方の話が出てきます。

銃弾と新聞記事を届けてくださったのは、87歳の女性でした。見つけたご主人はすでに亡くなっていて、ふだんは怖くて思い出したくない、けれどもこの活動を聞いて出してきてくださったのだと語られています(動画 0:22ごろ〜)。ツアーで回した弾と同じ物かどうかは、動画だけではわかりません。ただ、どちらの話からも、何十年も手元に置いて、語れずにいた人がいたことが伝わってきます。

穴のあいた半鐘――1.5センチが語る低さ

半鐘は、火事などを知らせるためにカンカンと打ち鳴らす鐘です。三田空襲の弾は、この鐘を突きぬけました。2018年のPEACE RALLY FINALでは、三輪会館からお借りした半鐘が舞台で紹介されました。

鐘の片側に穴があり、反対側にも穴があります。弾が入った穴と出た穴の高さの差は、わずか1.5センチ。ほとんど真横から弾が来たということです(動画 8:34ごろ〜)。飛行機がどれほど低く飛んでいたかが、この数字からわかります。

2025年の第1回「三田空襲を聞く会」でも、この半鐘を紹介しました。

わたし(荒井)は、半鐘の高さは会場の天井より低いくらいだったと聞いていることを伝え、今も戦争の悲惨さを訴える「物言わぬ証言者」だと話しました(動画 8:05ごろ〜)。

手記――28年後に書き残された記録

中嶋宏次さんのお父さん、中嶋義秋さんは、空襲の日に三輪町役場で働いていました。空襲から28年たったとき、「空襲罹災記」という手記を書き残しました。追体験ツアーの動画で、大向さんは、義秋さんが戦争の記憶がうすれていくことを心配して書いたのだと話しています(さきほどのツアーの動画 17:58ごろ〜)。

この手記をもとに生まれたのが、劇「三田空襲を忘れない」です(さきほどのPEACE RALLY FINALの動画 1:16ごろ〜)。1冊の手記が、あとの世代の高校生の舞台につながりました。息子の宏次さんは、亡くなった方々の場所に番号をつけた地図を自分でかいて、語り部を続けました(同じ動画 4:28ごろ〜)。

なお、手記には時刻が午前11時20分、飛行機が「グラマン」と書かれています。その後の調査で、時刻は午前9時45分ごろ、機種はP-51だとわかっています。記録は、書かれたときの知識や記憶とあわせて読むことが大切です。手記の内容は「空襲罹災記」を読むで紹介しています。

白いカバン――「今日だけこれで」

最後の物は、動画の中で語られた物です。志儀喜代美さん(当時3年生)の肩かけカバンです。

カバンは、お母さんが自分の帯をほどき、帯の芯で作ってくれたものでした。できあがったのは前の晩です。白は目立つので、ふだんはよもぎの汁で草の色に染めていましたが、染めるひまがありません。朝、お母さんは、帰ったら染めてあげるから「今日だけこれで」と持たせてくれました(動画 29:18ごろ〜)。

飛行機が近づき、土手のくぼみに伏せたとき、「そこの白いカバン、早く隠せ」とだれかに怒鳴られました。志儀さんは半分泣きながら、必死でカバンを抱えました。その声は今も耳の底に残っているといいます(動画 30:26ごろ〜)。

2025年の聞く会でも、志儀さんはこの話をして、こう言いました。「その持っていった一日が空襲の日やったんですよ」(聞く会の動画 56:19ごろ〜)。

授業で使える問い

  • 半鐘の穴の高さの差は1.5センチです。この数字から、飛行機についてどんなことがわかりますか。図にかいて説明してみましょう。
  • 弾、半鐘、手記、カバンの話の中で、いちばん心に残ったのはどれですか。それはなぜですか。あなたの町や家にも、昔のことを語ってくれる「物」はありますか。

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あらせん(荒井隆一)
この記事を書いた人 あらせん(荒井隆一)

小学校校長。書家。ことわざの達人。SUNPEACE 理事長、情熱教師塾 塾長。第63回読売教育賞 最優秀賞。著書『いじめ2.0〜新しいいじめとの戦い方〜』。

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