志儀喜代美さんは、三田国民学校の3年生のときに三田空襲を体験した方です。靴の配給、しらみ、よもぎ取りなど、女の子の目で見た戦争中のくらしを、細かく語ってくださいました。SUNPEACEは、2022年、2023年、2025年の3回、志儀さんのお話を動画に残しています。このページでは、3本の動画をまとめて紹介し、志儀さんの体験と願いの全体をたどります。くわしい場面は、それぞれの解説記事をご覧ください。
志儀喜代美さんは、どんな人?
- 昭和11年12月生まれです。空襲のときは三田国民学校(今の三田小学校)の3年生でした
- 父もおじも戦地に行き、家族は祖父母と母、志儀さん、妹でした
- のちに小学校の先生となり、三輪小学校の教頭をつとめました。平和登校日には、三田空襲を参考に自分で脚本を書いた平和劇を、先生たちと一緒に練習して上演しました
- 聞き手の大向勲さんにとっては、初任の三輪小学校のときの教頭先生です
- 2025年6月の「三田空襲を聞く会」には、88歳で語り手として出演しました
動画ごとの紹介と目次
聞き手は、3本ともSUNPEACEの大向勲さんです。目次の時刻は、動画の中のおよその場所です。
動画1:志儀喜代美さんが語る 三田空襲×戦時中のくらし(2022年7月17日・約53分)
女性の体験者にお話を聞きたいとお願いした回です。子どもと女性の日常から戦争が見えてきます。後半は、ちめいど雄介さんのライブです。解説記事はこちらです。
目次
- [00:00] はじめのあいさつ
- [03:22] 志儀さんの紹介
- [05:33] 3年生の時の集合写真
- [08:11] 当時の三田小学校の写真
- [10:18] 金属を集める写真
- [12:25] 父の出征
- [15:49] バケツリレーと灯火管制
- [18:01] 慰問袋と父に送る写真
- [18:51] 校庭の畑と配給の靴
- [20:23] 新聞紙の習字
- [21:01] しらみとDDT
- [22:21] よもぎ取りと彼岸花の球根掘り
- [25:25] 食べもの
- [27:41] 1945年7月19日
- [32:41] 8月15日
- [35:44] 戦後のラジオ体操の写真
- [38:14] メッセージ
- [40:41] ちめいど雄介さんの平和ライブ(あの空を忘れない/やさしい風が吹くまち)
動画2:三田空襲を語る「あの日、あの場所で」(2023年7月17日・約52分)
志儀さん、中後茂さん、内田昇さん、脇田孜さんの4人が、空襲にあった場所に立って語り、そのあと座談会をした動画です。志儀さんは、三田小学校の正門前の橋と土手を案内しています。解説記事はこちらです。
目次
- [00:00] はじめのあいさつ
- [03:03] 志儀さん:校門前の橋と土手のくぼみ
- [03:33] 飛行機はどちらから来たか
- [07:26] 白いカバン
- [08:17] 内田さん:九鬼邸の前あたり
- [10:20] 脇田さん:九鬼邸の前の水路
- [13:42] 中後さん:ぶどう畑の前の溝
- [16:39] 歩き終えて
- [17:47] 座談会の始まり
- [21:03] その日のこと(志儀さん)
- [31:54] 三輪の子どもたちのことは知っていたか
- [34:12] 戦争中の思い出
- [42:03] 持ち込まれた銃弾
- [44:34] 未来へのメッセージ
- [48:08] まとめ
動画3:第1回 三田空襲を聞く会(2025年6月28日・約79分)
戦後80年に開いた会の第1回です。三田市まちづくり協働センターに市民約60名が集まりました。前半はわたし(荒井隆一)の解説、後半が志儀さんのお話で、2022年の動画にはなかった話も語られています。会の記録はこちらです。
目次
- [00:00] 開会
- [04:25] 解説の始まり
- [06:19] 5人が亡くなった場所
- [08:03] 貫通した半鐘
- [09:57] 高平の空中戦
- [14:27] 当日の時間の流れ
- [15:55] 体験者のことばの紹介
- [22:17] 志儀さん登場
- [26:35] 3年生のクラス写真
- [27:52] 疎開
- [29:17] 校舎の工場と二部授業
- [32:33] 金属の供出
- [34:43] 父の出征
- [35:59] 疫痢
- [39:56] 配給と食べ物
- [42:49] おやつ
- [44:23] 慰問袋と写真
- [45:41] のみとしらみ
- [47:13] 靴とわら草履
- [49:41] よもぎと彼岸花
- [53:23] 1945年7月19日
- [1:02:33] 8月15日
- [1:08:49] 男女共学の試み
- [1:13:47] 志儀さんのメッセージ
語られたことの要約
父のいない家で
- 父は、志儀さんがやっとお座りできるころに戦地へ行きました。その後、軍服の人が家の前を通ると「お父さんや」とついて行ったと、のちに母や祖母から聞いたそうです(2022年 12:25ごろ〜)
- 父への慰問袋には、写真屋さんで撮った写真を入れて送っていました(2022年 18:01ごろ〜)
- 飛行機の材料が足りなくなり、家の火鉢や火箸まで差し出しました(2022年 10:18ごろ〜)
- 警報が出ると、明かりがもれないように電灯に布をかぶせました(2022年 15:49ごろ〜)
女の子の学校生活
- 当時は男子の組と女子の組が別々で、1クラスは55人くらいでした(2025年 26:35ごろ〜)
- 疎開してくる子が増え、低学年は午前と午後に分かれる二部授業でした。校舎の一つは航空機の工場になっていました(2025年 27:52ごろ〜、29:17ごろ〜)
- 靴は配給で、1か月に1クラスにわずかな足数しか来ませんでした。わら草履は、雨の日には脱いで裸足で歩くこともありました(2022年 18:51ごろ〜)
- 習字の紙がなく、古い新聞紙で練習しました(2022年 20:23ごろ〜)
- 髪にしらみがわき、並ばされて頭が真っ白になるほどDDTをかけられました(2022年 21:01ごろ〜)
※DDTは、戦後の占領期に広く使われたとされています。志儀さんは、戦時中のこととして記憶しています。 - よもぎ取りや彼岸花の球根掘りも、子どもの仕事でした。川をはさんで、三田と三輪の子どもが言い合いになったこともありました(2022年 22:21ごろ〜、2025年 49:41ごろ〜)
- さつまいものつるを食べ、おやつのはったい粉では、顔じゅう粉だらけになって大笑いしたこともあったそうです(2022年 25:25ごろ〜)
1945年7月19日、白いカバン
- 空襲警報が出ると全員が運動場に集まり、地区ごとに決められた場所へ向かうことになっていました(2022年 27:41ごろ〜)
- 校門の前の橋を渡りかけたとき、飛行機の音が聞こえ、橋を渡った左の土手のくぼみに、みんなで倒れこみました(2022年 27:41ごろ〜、2023年 3:03ごろ〜)
- カバンは、母が帯の芯で作ってくれたものでした。目立たないように染めるはずでしたが、前の晩にできたばかりで間に合わず、その日だけ白いまま持って行きました(2022年 29:47ごろ〜、2025年 55:34ごろ〜)
- だれかの声で「そこの白いカバン、早く隠せ」と怒鳴られ、志儀さんは半分泣きながらカバンを抱えていました。飛行機は頭の上を通り、三輪の方へ過ぎていきました(2022年 30:26ごろ〜)
- 「乗ってる人の顔が見えた」と言う子もいましたが、志儀さんは見るどころではなかったそうです(2022年 31:16ごろ〜)
- この日、三田では児童4人と女性1人が亡くなり、高次の農家も焼けました。志儀さんがそのことを知ったのは、ずいぶんあとだったといいます(2025年 1:00:58ごろ〜)
※志儀さんは機種を語っていませんが、2025年の解説では飛行機を「グラマン」と呼んでいる場面があります。これは、当時そう呼ばれていたことばです。杉山雅崇さんの調査で、三田を襲ったのは硫黄島から飛来した米陸軍のP-51戦闘機だとわかっています(くわしくはこちら)。時刻は午前9時45分ごろです。機数は記録や証言によって2機、8機などの違いがあり、はっきりわかっていません。
8月15日
- お盆で、母と妹と母の実家へ向かいました。相野から、妹を母と交代でおんぶして歩きました(2022年 32:41ごろ〜)
- 昼ごろに着くと、みんながラジオの前にいて、とても厳しい祖父が泣いていました(2022年 32:41ごろ〜、2025年 1:02:33ごろ〜)
- 父はまだ帰っておらず、すべてが終わったという感じは持てなかったといいます(2022年 35:29ごろ〜)
いま伝えたいこと
- 戦争は一人ひとりの命を奪い、長い時代をかけて培ってきた文化を壊し、美しい自然を破壊すると語りました(2022年 38:14ごろ〜)
- 2023年の座談会では、人の命を奪う兵器がより強くなっていることにふれ、かけがえのない命を大事にすることを世界中の人たちが認識してほしいと語りました(47:14ごろ〜)
- 2025年には、同級生が次々と亡くなる中で、体験を届けられる最後の年代かもしれないと思って、会に出たと話しました(1:13:47ごろ〜)
心に残ることば
- 「そこの白いカバン、早く隠せ」(2022年 30:39ごろ)今も耳の底に残っているという声です
- 「その持っていった一日が空襲の日やったんですよ」(2025年 56:19ごろ)
- 「もうあの時はね、本当に助からへんと思いました」(2022年 31:48ごろ)
- 「戦争によってね、幸せになる人は一人もいません」(2022年 38:18ごろ〜)
- 「やっぱり人の命ほど大事なものはないと思うんですよ」(2023年 47:20ごろ)
- 「一番大事なものをなくす戦争」(2025年 1:14:53ごろ)
授業で使える問い
- お母さんが「今日だけ」と持たせたカバンを、志儀さんはそのあとどんな気持ちで思い出したと思いますか。なぜ白いカバンを隠さなければならなかったのでしょう(2022年 29:18ごろ〜)
- 靴が月にわずかしか来ないクラスなら、だれから渡しますか。今の持ちもので、なくなったら困るものは何ですか(2022年 18:51ごろ〜)
- 志儀さんは、戦争が奪うものとして命、文化、自然をあげています。今の自分のまわりで、守りたいものを一つ選ぶとしたら何ですか(2022年 38:14ごろ〜)
